怖い物知らず

10年前の今日は何をしていました?神奈川にあるわたくしの自宅(集合住宅ですが)が激しく揺れてこれは尋常ではないと感じ、建物が倒壊するかもしれないと一時外に出ました。すごく長く揺れた後、避難する必要はなさそうだと理解し、自宅に戻りその後はひたすらテレビを見ていました。時々刻々被害の様子が知らされる中、やっぱり一番心配に思いましたのは福島第一原子力発電所のことでした。福島から関東方面に電気が送られてくることは知っておりましたので、原発の様子を見て、きっと停電するであろうとは思っておりました。この日からNHKのニュースで、福島県の風向きが知らされるようになるのですが、それを見て、朝も昼も夜も陸から海に向けて風が吹いているという図がテレビに映されていて、これはおかしい、もしかしたらわたくしたちは正しい情報を知らされていないのかもしれないと、初めて国や報道機関に疑いを持ったことは今も続いています。なぜなら、わたくしはこの藤沢に居住する前、10年以上茅ヶ崎の海から150mほどの場所におりましたので、朝から晩まで同じ向きで風は吹かないということを身を以て知っていたからでございました。

そのとき撮った沼津のS様邸
そのとき撮らせていただいた家のお写真を少し

2011年3月11日は金曜日だったと被災地の人以外ではっきり記憶している人はそう多くはないと思います。わたくしは地震の翌々日3月13日、日曜日に沼津に行く予定をきちんとクリアする必要があると考えていたことのほうが記憶に残っており、震災の曜日は金曜日だったとちゃんと覚えています。この頃、仕事しておりました注文住宅を建てる会社の新築物件の写真をWebsiteに載せるために撮らせていただく予定があったのでした。施主様ご夫婦と揃ってお目にかかるには土曜日か日曜日どちらかしかチャンスがないので、絶対に伺わなければならないと考えており、前々日に大きな地震があったけれど、この予定を変更してもらわなければならないとは全く思わなかったのだと思います。予定通り日曜日は首都圏から箱根や伊豆に向かう人が多いと予想される方面に向かうので、約束の時間の2時間前に自宅から海岸線の国道134号線に出て、西湘バイパス→箱根新道→沼津へと車で出かけました。沼津は静岡県だから、地震が起こったとしても南下するのだから大丈夫。どこか道が崩れているとか、通行止めになっているとか、そういうことが起こりうるとは頭の片隅にもなく普通に出かけ、40分で沼津に到着しました。
沼津に到着してふと思ったのは、そーいえば箱根新道で1台も車に会わなかったな。通常なら2時間以上はかかる沼津にずいぶん早く着いちゃったな。早く着いちゃったから、ご飯でも食べようかな。ということで、危機意識はゼロ。

この後、写真を撮らせていただいたS様にお目にかかった際に「よく来られましたね。大丈夫でしたか?」とお言葉をいただくまで、この行動が怖い物知らずだったということにまったく気づいていませんでした。東日本大震災から今年で10年。節目とか言っていろんなテレビで特別な報道がなされるみたいですが、ちゃんとしていないわたくしは、毎年毎年、この「福島の風」と「沼津に行ったこと」を思い、2011年3月11日は金曜日だったことも決して忘れられないのです。

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