9日にわたくしはとある打ち合わせのため、赤坂にある「オゴ オノロア ハワイ」に出向きました。ここは、ハワイアンフードが食べられるレストランなのですが、同時にハワイアンミュージック&フラのコンサート興行もやっておられます。打ち合わせはそれ関連のお話だったのですが、店内に飾られているハワイアンキルト作品は全てサイトのパターンをご利用いただいておりますNagao様の作品であることから、オーナーのMotoko様からハワイアンキルトってどうやって活動しているの?というかなり基本的な質問を久しぶりに受けたのでございます。
日本では教室を運営したり、キットを販売したり。最近は手作りサイトやオークションなどで、ご自分の作品に値段をつけて販売されておられる方も多いのでは?とお話しましたら、それは知ってる知っている。キャシー中島さんが有名にしたんだよね~。という流れに。そうそう、キャシーさんはすごい!さすがに有名な方だから、ハワイアンキルトをメジャーにしてくださっていつもとっても感謝させていただいておりますし、尊敬もしております。とわたくし。
ですが、実はハワイではそうでは無かったんですよね~。と久しぶりに原点に戻る気分になりました。というのの理由のひとつに、昨日ご紹介させていただきましたYoko Hiruma先生の活動をご紹介させていただいたことにもあるのではございます。要するに、ご自分の作品を制作し、絵画のように発表し、販売する(Hiruma先生は違いますが)ことが、ハワイアンキルターのメインの仕事であったということを思い出したのでございます。
たとえば消防署、役所などの公的な施設などからのキルト制作依頼を受ける。フラハーラウ(先生のいるフラの学校)からドレスのオーダーを受ける。卒業や就職の際にプレゼントするためのオーダーを受ける。いずれもドレス以外のものはベッドスプレッドサイズの制作依頼であるのが普通で、これらのオーダーを通年を通して受注することでキルターは暮らしてゆけたのだ。ということをお話したのでございます。完成作品の単価は、日本では考えられないほど高価なプライスで取引されるので、年間数枚の作品を制作すればハワイでは暮らしてゆけたという夢のような時代があったのでございます。なんて。もちろん大きなサイズの作品を1年で数枚作り上げられるスキルは要求されるので、それはそれで驚くべき能力の持ち主しかキルターにはなれないのではあるですが…。
さらに、バケーションでメインランドや他の国からハワイに一時的ではあるけれども長期休暇で訪れる人たちからのキットオーダーに対応することで収入を得ることができたのは、常に作品を作り続ける姿があったため、旅行者から何も言わずに尊敬を受ける存在だったハワイアンキルターの姿を知って、わたくし自身も大変驚いたことを思い出したのでございます。作品やキットで収入を得られていたため、美術館やショッピングセンターのイベントで、ハワイアンキルト制作の指導は、大変安い値段(5ドルほどだった)でできたのだというのでございます。この結果、自分も自分もと常に多くの人が集まり、わたくしが知っている写真には、座席の余裕がないほどの人が集まって習いながら作品制作されていたことを思い出しながら、久しぶりにお話させていただいたのでございます。
そもそもこういうことが、わたくしをハワイアンキルトのパターンデザインに向かわせ、それがどんなに周りの状況が変わっても今まで続けてこられたおおきなきっかけになっていることも久しぶりに思い出したのでございました。
オーダーキルトが昔のハワイのように高価な値段で流通されるようなことは日本ではあまり無いことかもしれませんが、現地ではハワイアンキルトはアートであり、それをアートの認めてきたハワイアン達のものの見方は尊敬すべき点でもあるのかもしれないと実は今も思っているのでございます。ハワイアンキルトはパッチワークの一ジャンルではないし、手芸ではない独特のノウハウもあるのだと思っていることも久しぶりに語りたくなってしまったのでございました。
本日は掲載できる画像はございません。残念ですが。
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